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<<   作成日時 : 2017/05/19 08:37   >>

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阿川佐和子氏の結婚が報道されると、熟年初婚という言葉がテレビでも取り上げられている。熟年離婚なんて流行言葉よりも、ポジティブで良いのだろう。
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かくいう自分も熟年結婚の一人ではある。もっとも、私は再婚で、夫が初婚、40代後半での出会いと入籍であった。
自分の事を棚に上げて、阿川氏の結婚報道に接すると、夫は「無理に結婚する事は無いのに・・・。」とのたまわった。自分の事でもないし、実際の所を何も存じ上げないのに、私は「別に、無理にする訳じゃないでしょ。年を取って、1人でいるという事は、心細いからじゃないの?」と、つい言ってしまった。(阿川さん、勝手にごめんなさい!)

夫は黙っていた。何も言えない筈である。私も、エラそうな事は何も言えない立場である。

還暦を過ぎて、私達は離婚した。別居でもなく、正式に離婚した。一言で言えば、私の我儘だった。最初の結婚と離婚で、それなりに学んだつもりでいたのに、結果的には同じような失敗を繰り返したことになる。違っていたのは、多分一つだけ。最初の夫は、私と同じ位に我慢強かった。寛容さも私と同じ位だった。だから、いざという時に、お互いに引くに引けなくなってしまった。
二度目の夫は、我慢強さは私と多分同じ位だったが、寛容さは私の何倍も大きかった。

離婚を申し出た時、夫は部屋の一つを私の家として、そのままそこに住む事を提案してくれた。世間によくありがちな「家庭内別居」とか「家庭内離婚」という形態である。
私の性格が、それを許さなかった。そういうのは、自分にも夫にも、不誠実だと思った。
15分の話し合いで、夫は「わかった・・・」と言って、離婚届に署名捺印をしてくれた。それなりに色々あった15年ほどの結婚生活が、それで終わった。

1人暮らしを始めて、仕事も思うようには上手く行かず、毎日の生活に追われた。
「他人の不幸は蜜の味」とまで思わなくても、他人のいざこざは週刊誌を読むより好奇心をそそられるのが、やじうまの心理というものだろう。あおったり、からかったりしていた人間も、毎日の生活に追われ、次第にやつれ、輝きを失って行く人間からは、いつの間にか静かに遠ざかって行くものらしい。孤独になって、家財道具もあまりない部屋で話しかける相手もいない事に改めて気づき、自分の失敗を実感したのだ。

若い時なら頑張りも効く。何とか抜け出せる道もある。
底なし沼のような孤独感に包まれた時、思い出したのは夫の寛容さだった。

自分が恥ずかしかった。それでも、思った。今、ここで意地を張ったら、今度こそ私は何もかも失ってしまう。
・・・許されるなら、帰れるものなら、帰りたい。

「帰って来るか・・・。」
一言も責めずに、夫はそう言ってくれた。別れて1年が経っていた。

私が家を出た後、夫は少しずつ少しずつ、ロッカー箪笥や机やベッドを、分解し、裁断し、何回にも分けてゴミとして捨てていたらしかった。身の回り品だけを持って出た私が、処分を頼んで残して行った物を、夫は何を考え何を思って片づけていたのだろうか。

復縁して、早や4年か。熟年再婚と熟年再再婚の夫婦は、前よりも言いたい事を言い合うようになった。それでも、あまり喧嘩にはならない。やはり「歳」のせいかと思う。
・・・年を重ねるという事も、そう悪くは無いと思える一瞬である。

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